ブッダの実践心理学 心所
「kukkucca 後悔 ククッチャ
自分がやったことについて「ああ悪いことをしてしまったなあ」と嫌。
自分がやらなかったことについて「ああやっておけばよかったなあ」とそれも嫌
そのとき生まれる嫌な気持ち、後悔は怒りに入っているのです。
昔の仏教徒の日記というのは、くだらないことをいろいろ書くのではなくて、何か善行為をしたらそれを書いておくものでした。そうすると、自分の日記が「読み返せば読み返すほど楽しくて仕方がない」という素晴らしいものになるのです。自分の単なる記録ではないのです
「自分の記録は、単なる自我意識の羅列で自慢したくなることや悔しいことばかりで、記録すること事態もあんまり明るい行動ではないのです。「私という人間がここにいましたよ」とみんなにいいたがってるだけです。そういうことではなくて、「善いことを思い出してください。善いことをしたら、それを書いておいてでも忘れないでください。」というのです。
「ヴィパッサナーをすると、心の対象は衆生ではありません。一切生命に共通している五蘊なのです。」
「慈悲喜捨の瞑想の対象は衆生なのです。一般的な理解で言う「生きているもの・生命」ということなのです。真理の立場で観るように「五蘊」として認識しないのです。」
「慈悲喜捨の四つとも、悟る心には生まれません。理由は、悟る心は生命のことを考えていないからです。悟る心は無常のこと、苦のこと、無我のことを考えているのです。」
「慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想はお互いまったく違う修行法ですが、慈悲の瞑想も必要です。それをしないと、人間関係がうまくいかなくなるのです。」
「生命とのかかわりは慈悲喜捨であるべきだ」というのはブッダの言葉です。ですから慈悲喜捨を虫することはできないのです。このポイントは、すごく丁寧に理解しないと大変な邪見になります。」
このポイントは、すごく丁寧に理解しないと、大変な邪見になります